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Message for 2010KOSTA-JAPAN(東アジア青年修養会) ”全ての国へ、地の果てまで、福音を!” 「わたしはあなたを大いなる国民にし、あなたを祝福し、あなたの名を高める。祝福の源となるように。」(創世記12章2節) 福音のもとは誓うことからである。ガラテヤの信徒への手紙で使徒パウロは、創世記の言約を引用し、福音を説明している。聖書では人物や事件中心の歴史の記述ではなく、今後アブラハムの子孫として来られるキリストを通して、宇宙的回復に焦点を合わせた救いのドラマである。
「地上の諸国民はすべて、あなたの子孫によって祝福を得る。」(創世記22章18節) 従って言約は聖書の核心の課題であり、このことは言約の先祖アブラハム、イサク、ヤコブ、ダビデ、ヨブやヨセフなど偉大な人物により繰り返し証明されている(創世記12:2、13:16、15:5、17:5~6、18:18、22:17~18、24:35、26:4、27:29、28:14、35:11)。これらの個所では人の偉大さより、神様の救いのメッセージが聖書の焦点になっているからである。 福音は本質的に共同体的である。言約はアブラハム本人だけではなく、神様とその子孫ヘブライ民族と主権的に結ばれた約束である(創世記17章7節)。神様の救いの計画は、初めから民族共同体に焦点を合わせてなされた。アブラハムが大きな民族(創世記12章2節)、強大な国(創世記18章18節)になっていくという約束が、それである。使徒パウロがフィリピの監獄の人々に、主イエスを信じなさい。そうすれば、あなたも家族も救われる(使徒16章31節)と宣言したものや、洗礼を実行する教派の神学的背景がこの言約共同体に基盤を置いたものである。個人が悔い改めると彼の家庭が自動的に救われるだけではなく、一人が福音を受けると彼が属している共同体が必然的に影響を受け、また福音的影響力を発揮しなければならない使命が与えられる。 産業革命以降、世界は巨大な都市化の波で自然共同体が破壊され、急進的な個人主義ウィルスに汚染された。キリストの体である教会は、神様が意図した元の共同体を回復する道具として、回復された共同体の模範にならなければならないのに、逆に世の中の影響を受けた個人主義信仰や諸宗派の利己主義によってキリスト教の霊性が疲弊してしまった。KOSTA参加者が個人の救いにとどまらず、民族共同体の福音化や霊的な祭司の聖い負担を積極的に背負う理由である。しかし、神様が意図した言約共同体は民族よりも大きい。言約の目的は創世記12章3節「地上の氏族はすべてあなたによって祝福に入る」の御言葉である。創造主なる神様の救いの計画は初めから全ての人類に焦点を合わせたものである。福音が個人主義や民族主義の限界に囲まれなければならない理由であり、そういう意味で、福音は宣教的である。それで、神様は言約の先祖アブラムからアブラハムへ、サライからサラへ改名なさった。「あなたは、もはやアブラムではなく、アブラハムと名乗りなさい。あなたを多くの国民の父とするからである。」(創世記17章5節)、「神はアブラハムに言われた。『あなたの妻サライは、名前をサライではなく、サラと呼びなさい。わたしは彼女を祝福し、彼女によってあなたに男の子を与えよう。わたしは彼女を祝福し、諸国民の母とする。諸民族の王となる者たちが彼女から出る。』」(創世記17章15節~16節) 今年のKOSTAのテーマは、「全ての民へ、地の果てまで、福音を!」であるが、これは福音の本質的なテーマである。福音は、KOSTA参加者の個人のために与えられたものではなく、一つの民族共同体に焦点を合わせたものであり、他民族より、一つの選ばれた民族を偏愛したものではなく、地の果てまで拡散される道具として選ばれたものである。この大きな絵を見逃してしまうと、過去イスラエルが犯した排他的民族主義の誤謬を犯してしまう可能性がある。世界福音化を終結するため、世界の教会が最初に一つのところへ集り、協力を模索し、戦略を論議したエジンバラ宣教大会100周年を迎えた意味のある年に福音で民族を抱き、地の果てにまで進んでいくKOSTAに参加する兄弟姉妹の未来に期待する。
KOSTA国際本部理事長 李東元 KOSTA-JAPAN準備委員長 金 圭東 ヨハン教会連合顧問 峯野 龍弘 |